れいな

コンコン
ん、母さんか?
僕は、振り向きもせず、そのまま机に向かっていた。
なんせ、レポートを明日まで出さなきゃいけない。
母さんの小言に付き合ってる暇など僕には無いのだ。
「おお、開いとるよ」
気も進まず、無視するわけにもいかないので返事をする。
「おにぃ、入るよ」
「!!!・・・れいなっ!」
そこには髪を二つ結びにした妹がいた。
「どげんしたと?そぎゃんハトが豆鉄砲くらったような顔ばして」
少々混乱して、まじまじとれいなを見てしまった。
「ってあれ?お前なんでここに」
なんとか落ち着きを取り戻そうとつとめて冷静さを保とうとするも
うまくいかない。
「だって、ここはうちのうちばい。いつ帰って来よるってよかでしょ」
そういってちょっと意地悪そうな顔をして、僕の机にコーヒーを置く。
「あ、ありがとうとよ。そりゃそうやけど、帰って来るなんて一言もいってなかったやんか」
モーニング娘。になって以来、とても忙しいらしく(まあ想像通りだけど)
めったに帰って来る事がないし
しかも、帰ってくるときはうっとおしいくらい宣伝してからくるので
いつも一騒動なんだよな。
この頃は、ほとんど帰ってこれてないし、電話もなかった。
「急におやすみばもろうたから。おにぃばびっくりさせようと思って。ただいま、おにぃ」
僕は少し落ち着きを取り戻しながられいなを改めてみる。
少し痩せた・・・・かな?
れいながモーニング娘。になるため上京してから
まだ半年くらいだというのに妙に懐かしかった。
「ああ、おかえり」
「えへへ。元気やった?おにぃ」
「ああ、お前こそだいぶ忙しいみたいやけど、大丈夫か?」
「うん、平気。毎日いろいろな事ばあって楽しかけん。」
れいなはそう言ってもってきた自分のコーヒーを一口飲んだ。
「そっか〜、それにしても・・・ふふっ」
僕もれいなが入れてくれたコーヒーを口に含む。ちょこっと薄い。
「なん急に笑ったりして?」
「いや、前やったらノックなんかしなかでいきなり部屋に入ってきたのに。
それにコーヒー持ってくるなんて・・・。れいなも大人になりよったなあ」
ほんとれいなには困ったもんで、いきなり入ってくるから
思春期の僕には辛いものがあったもんだ。
「なっ!いつまでも子供扱いしなかでよ。れいなだってもうおとなだもん。」
そういうとれいなはプイっとほっぺたを膨らませてそっぽをむいた。
こういうところは以前と変わりない。
「あはは。ごめんごめん。れいなもすっかり娘。の一員だもんな。」
れいなはそっぽをむいた先で視線がとまってる。
「・・・相変わらず石川しゃん好いとぉんだね」
ぽつりと言った。
そこには前からずっと石川梨華のポスターが貼ってある。
「え?まあね。梨華ちゃんかわいかよなあ。どう?梨華ちゃんと仲良くなりよった?お前写真撮影の時、緊張しすぎて話せてなかったろ?」
れいなはそれには答えず持ってきたかばんの中をごそごそ探し始めた。
見たことのないかばんだった。
ブランドのことはよくわからないけど、れいなはもともとおしゃれな子だったので
そういうのは詳しく、きっと給料で買ったのだろう。
「やーん」
そういうとドラえもんが秘密道具を出すみたいに色紙を僕の前に差し出した。
「・・・これもばってんて・・・梨華ちゃんのサイン?」
コクッ
「まじで・・・。だってサインとかもらえなかんや・・・」
れいながオーディションに合格した時、これで梨華ちゃんのサインもらい放題だ!
なんて思ってたら、そういうのはしていけないと事務所からきつく言われたらしい。
そのことを申し訳なさそうに説明するれいなを見ていたら、何も言えなくなってしまった。
「苦労したよぉ〜。なかいなか言い出せなくて。んで、事務所の人のいなかところで、おにぃがいかに石川しゃんの事ば好いとぉか説明してさ。石川しゃんも快く書いてくれたんだ〜」
「そっか〜。ありがとな〜。俺はよか妹ば持ったよ・・・。おお、しかも俺の名前入りやなかか!」
受け取ろうとしたら、れいなはぱっと引っ込めてしまった。
「・・・どうゆうつもりやけん。」
れいなは小悪魔風に微笑んで
「だ〜め。ただで上げるわけにはいかいなかよ。」
れいなは昔からこういう事をする時がある。
ここは我慢だ。
ここでキレて、無理にでもとろうってしたら絶対にこいつはわ た さ な い。
渡さないどころか、きっとびりびり破ってしまうだろう。
いや、やぶけないか。色紙だし。
燃やすな。うん、きっと燃やすに違いない。
そういうところは誰に似たのか頑固だし。
ここはひとう冷静に。冷静に。
僕は自分を抑えながら 言った。
「で、条件ってのはなんだ?」
れいなは僕の考えなどお見通しだとばかりに、軽く微笑む。
「えへへ。れいなのお願い聞いてくれたらあげるとよ。」
「お願い?」
「そう、お願い。」
「金ならなかぞ。」
「そぎゃんものいらなかよ。」
「・・・金やなかとすると・・・あ、わかった」
「!」
「あんコンポやろ?おまえ欲しそうにしてたもんな。あれはだめだぞ。
オヤジが俺の誕生日に買ってくれたんやけん。」
れいなは首をふるふると横に振る。
「ちがうよ。・・・ねぇ?ほんとになんでも聞いてくれる?」
「やけん、なんなんばい!」
「なんでもばい?絶対ばい?」
じれた僕は少しいらだちを抑えるためにコーヒーを口に含む。

「わかったよ。俺が出来ることやったらなんでも聞いてやるよ。だけん、なんだ?
金でも物でもなかとすると・・・」
「えっと・・・・・・・・しい。」
少しうつむき加減に頬を染めながら紙をきるような声で言う。
「ん?なんだって?聞こえなかぞ」
れいなは意を決したように顔を上げ、ますます顔は赤くなってる。
「やけん・・・れいなん・・・・キス・・・して」
ぶっがはっげへげへ
僕は飲んでいたコーヒーをぶちまけた。
「大丈夫おにぃ!あ〜汚いなあ」
れいながすかさずティッシュをもってくる。
「がはっげへっ んなこと言ったって・・・お前今なんて?」
僕はカップを置き口を拭きながら、れいなが言った言葉の意味を反芻する。
「だーかーらーキスしてって言ったの!なん回も言わせなかでよ!」
れいなはそういうと顔をさらに真っ赤にしてうつむいてしまった。
「おまえ一体なん考えてるんばい。そぎゃん事できるわけなかやろ?」

僕は少し落ち着きを取り戻そうとカップに手を伸ばしたがもう残ってなかった。
れいなは何も言わずうつむいたままだ。
「・・・第一俺達兄妹なんだぞ。そぎゃんなことできるわけなかやなかか」
「・・・だって・・・だって、れいな一人で東京で寂しかった・・・」
「え?」
少し顔を上げて僕の顔を上目遣いで見た。
その目には涙がいっぱい浮かんでいる。
普段気が強いっていってもまだ13歳の女の子だ。
夢だったモーニング娘。になるためとはいえ、一人で東京にいるということは
並大抵なことじゃない。
俺はそんな事わかってるはずだった。
でも、全然わかっちゃいなかった。
きっと俺なんかでは理解できないようないろいろな辛いこともあったに違いなかった。
それでも、強気なキャラを演じ続けなければいけなかったれいなの気持ちを俺は、
妹が娘。になれたことに舞い上がるばかりで、考えもしなかった。
「れいな」

僕はれいなを抱きしめて、髪をなでてやった。
相変わらず小さく、華奢だった。
「おにぃ?」
少しこわばった感じはあったが、すぐに僕にからだを預け、胸の中で泣いてるようだった。
懐かしいいい匂いが僕の鼻を掠める。
「ほんとによかのか?」

僕は少し間をあけて、からだをちょっと離し、れいなの顔を見た。
目は赤く、小さい頃よく見たれいなの顔がそこにはあった。
コクッ
れいなはわずかにうなづいた。
「や、・・・するよ」
僕は覚悟を決め、れいなを見つめる。
れいなは目を閉じた。
れいなの鼓動が伝わってくる。

「れいな・・・」
あどけなさはまだ残っているものの、その目を閉じた表情は確実に女性になっていた。
理性とかなんとかがいつのまにかどうでもよくなっていた。
僕は顔を近づけていく。
「おにぃ・・・」
ちゅっ
「!!!」
「え?あれ?お、おでこ?」
素っ頓狂な声をあげるれいな。
「ん?」
僕はおでこから唇を離し、れいなを見つめた。
れいなは俯き、ワナワナと震えている。
「・・・・れ、れいな?」
僕は恐る恐る呼びかけた。
「おにぃ・・・おにぃのぶぁかぁ〜!!!」
その瞬間、僕は色紙ごとぶっ飛ばされた。
「いてぇ!!!なんすんだ!」
と言った後には、もうすでにドアを思いっきりしめた音だけが響いていた。

それ以来、れいなは口をきいてくれない。
果たして、今度口をきいてくれるのはいつになることやら。


Fin