3月11日におこったこと。

プチリニューアル!
ということで、今後は少し間口を広げて
書いていこうかと思います。
よろしければお付き合い願います。

さて、東日本大震災から2ヶ月がすぎました。
あの日おいらが体験したことを記録としてとどめておこうと思います。
うちは宮城県でしたけども、内陸のほうだったので
被害はあまりありませんでした。

 11日は翌日にイズミティ21で行われるBerryz工房のコンサートに向けて、
興奮する自分を抑え、きちんと仕事しようと思ってました。
下手なミスで気分が落ち込んだままってのはもったいないですからね。
天気は晴れて、夕方から雪とかマジかーと思いながらせっせとやっておりました。
順調に作業は進みなんとか定時で上がれるかなって感じでした。
そして、そのときはやってきました。

14時46分大地震発生。

 ちょうどとある団地内で配達してる時でした。
バイクだと震度4くらいはわからないってことが多いので
すぐにこれは5以上いってるなと両足を踏ん張って周りを確認しました。
とりあえずなにが倒れてきても逃げられるように道路の真ん中に移動しました。
ガタタタッと音が鳴り響き、電線が生き物のように揺れて、目の前に駐車してた車が弾み盗難防止のアラームを鳴ってました。
外に出てきた人達は悲鳴を上げ、みんな座り込みました。
揺れは収まる気配がなく、いつまで続くんだこれ?、
と思いながら周りを見続けることしかできませんでした。
倒れてくるものはありません。
 この時、自分でも意外なくらい冷静だったと思います。
揺れは長く感じましたが、結局5分くらい続いたようです。
収まったかなと改めて周りを見ても建物が倒壊した形跡はなかったようなので
(ブロック塀は一部倒れてましたけど)
とりあえず配達を再開。
その間も強い余震は続いてました。
こういうときは会社の指示を仰げと言われてましたが
案の定携帯が繋がらず(地震直後はだいたい繋がらない)だめもとで親と弟にメールで無事を伝えました。
その後iPhoneはしばらくいけたんですが、ドコモはだめだったみたいですね。
途中泉区で倒壊した建物はないようだとか
停電してるとか情報を頂きました。
やはり動揺してしまったようでまったく進まなかったのがもどかしくて…。

 1時間くらいやってたでしょうか?やっと終わり帰れると思ったら今度は猛吹雪になりました。
夕陽はさしてるんですけど降ってるという有様です。
おかげでメガネは曇って見えないわ
信号は停電のためそこかしこで渋滞してるわ
道路は所々若干ですけど隆起していたりへこんでいたりで
この世の終わりかよ!とツッコんでました。
ノロノロ走行で、なんとか帰社したら晴れました。
なんなんだよこれは!と空に突っこんだのは言うまでもありません。

 会社につくと社内は人でごったがえし真っ暗でした。 
一時間くらいは電気がついてたみたいですけどね。
外観はガラスが一部割れただけでした。
すぐ帰っていいとのことだったので
まわりの無事を確認しながら帰宅準備。
そういえば、点呼とかそういうの全然しなかったなあ。
その間にも余震があり、全員わらわらと外へ出たり。
仕事の途中で怪我をした人もいたそうです。
更衣室が地下にあるので真っ暗な中、持っていたライトで照らしながら着替えました。
これでまた大きな揺れ来て出られなくなったらどうしようねとか話してました。
こういうときでもみんなでいれば結構余裕なもんですね。

 先輩の車に同乗させてもらって、未だ連絡が取れない家族が心配になってきました。
携帯もこうなるとさっぱり役に立ちません。
これまで携帯あるからいつでも連絡がとれると思ってましたけど
そうじゃないんですね。
ちなみにiPhoneはこの時でもメールwebともに大丈夫でした。

 もしかして、家がつぶれてたらと不安が脳裏をよぎりました。
うちは築25年くらいでして
一応震度7でも大丈夫ということでしたが
その震度7が来たわけで、大丈夫なのかよと。
道すがら瓦が落ちてる家はありましたが、
全壊してる家はないので大丈夫、きっと大丈夫と念じながら帰宅。

 おかげさまで若干ヒビが入ってたものの無事でした。
中に入ると誰もいませんでしたが、片付けられてるみたいなので無事なんだろうなと思いながら
あちこち見て回りました。
買ってまだ1年たってないテレビは倒れてなくてよかったと思ったら
倒れてたそうで。(壊れてませんでしたけどね)
二階に行くと、CDやら本が散乱してました。

テレビや本棚は倒れていませんでしたが、パソコンは本体が後ろにひっくり返ってました。
親を捜しに避難所の小学校に行ってみました。
「保護者の方ですか?」と言われたので
「違います。避難者です」
と答えました。
ああ、そうだおいら避難者だと思いました。
ってか保護者に見られる年頃なのね…と複雑な気分に。
体育館の中に入れてもらうと結構人がいて、みんな呆然とストーブにあたってました。
ここにも親の姿は見えません。
どこに行ったんだろう?と家に戻ると前のお宅にいるというメモを発見。
停電でドアホンが使えないのでドアをノックすると、弟が迎えに来て連れて行ったとのこと。
よかった。
 ということで、まずは車で移動開始を試みました。
と思ったらすごい渋滞っぽい。
なら自転車で移動しようと引き返す。
阪神大震災ではMTBが大活躍だったと聞いてたので
今こそ!
と思ったら後輪が動かないorz
見たら留め具が壊れてる。
地震のせいかいたずらされてたのかわかりませんがこれでは使えない。

 では歩きかと思ったけどあたりはすでに暗くなってきてるし
弟の家までは1時間以上は歩かないとだめなので
もうこうなったら、車で行くしかないと。
幸いガソリンは満タンだったし(数日前にいれたばっかりでした)、暖もとれるしラジオも聴けるしいいだろうと。
ポータブルナビが無事だったので、それを装着しました。
宮城県沖地震では道路が陥没してて通るのが大変だったと聞いていたので
まともにつけないかもと思ったんです。
 ラジオをつけながら弟の家へむかいました。
iPhoneみたら、まだ繋がってたのでTwitterに無事と書き込みました。
実際メールとかよりこっちの方が使えますね。
家族とか友人はTwitterはやってなかったので、その辺は駄目でしたけども。
情報も早かったです。
途中のコンビニにはすでに行列ができてました。
こんな時でもやってるんだなと感心してましたが
飯の確保と飲料水の確保してないとだめだと後から思いました。
渋滞覚悟でしたが、田舎の方なのでわりとすんなりといけました。

 到着し、全員無事とのことでよかったと。
ろうそくの明かりで、卓上ガスコンロでインスタントラーメンをご馳走になりました。
水道はまだここは止まってなかったんですね。
この時点では。
自宅の方はだめでしたけども。

 ラジオでは、津波で町が壊滅とか想像以上の被害が出てる模様でした。
ってか阪神大震災の1000倍とかどんだけだよと。
子供は強いもので、こんな状況でも笑顔でしたねえ。
しっかりしないとなと自分を奮い立たせました。

 ラジオをつけ、懐中電灯で照らしながら床につきました。
音とか光がある程度ないと不安でたまらないんです。
余震はまだ続いていて、緊急地震速報がひっきりなしになっていました。

 翌朝、自宅に戻るとポストに新聞が入っててびっくりしました。
こんな時でもきちんと配達するんだなと感動しました。
そして記事を見て唖然。
いろいろ聞いてましたが、画像で改めて見ると
言葉になりませんでした。
百聞は一見にしかずとはよく言ったものだと。
とんでもないことがおこったんだと思い知らされました・・・。

これがあの日おいらが体験したことです。
もっとパニくるかと思っていましたが、幼少時に宮城県沖地震を体験してたためか
脳がそうならないようにしたのか、それほど取り乱すこともありませんでした。

 地震後は、給水にならんだり買い物に並んだり
とひたすら並びました。
ここらへんは鍛えているので大丈夫でしたけどね。
あと、仕事はバイクから自転車になったりで
ガソリン不足で大変でした。

なんかいろいろと不便でしたね。
ってかいまの世の中便利すぎなんだなと思いました。
便利が不便ってのもおかしい話ですけど
もう少し不便な方がいいのかもしれないなと。

電気やガスがついたときの安心感は忘れられないな。

天災はいつくるかわかりません。
そのための準備はやはりしておくべきです。
3日分用意してれば、世界は動き出します。

以上です。